相変わらず食の細いマメ子、もといムスメ氏②。
産まれたときは1818gの小さな赤ちゃんで、初めて見たとき
よくこんな小さな体でわたしのお腹の中を駆け巡っていたなあ
と感慨深く抱き上げたものでした。
わたしは帝王切開だったので出産直後はしばらく麻酔で寝ていました。
双子を最初に抱っこしたのはオットと実母。
ずるいー!!
と思いながら切腹した箇所が痛すぎてぜんぜん身動きが取れず
いま双子が運ばれてきても何もできないなあと諦めました。
麻酔が切れて眠りから覚めてもオットと会話した内容をほとんど覚えていません!
それくらいホントに出産って体力消耗します。ダンプカーにぶつかったのと
同じくらいの衝撃だとか、、、
分娩室から病室に運ばれて寝ていたとき、オットがその姿を写真に撮ったといったので
見せてもらうと、「うわ〜過酷だったんだな。。。」←人ごと笑
という顔色をしていました。
オットは、「将来双子が反抗期になったら印籠のようにこの写真を見せて
『母ちゃんはお前たちを死に物狂いで産んだんだ!見ろ!こんなに大変だったんだぞ!』
と言ってやるんだ。」そうです。
。。。え
反抗期なんて来るの??
それはほんとにやめて頂きたい!
これ以上大変にしないでちょうだいとハハは切に願います!
ところで産まれたての双子は小さすぎて吸引力がなく、2人ともなかなか母乳を吸えませんでした。
出産した病院は母乳育児ゴリ推しのところで、とにかく母乳!母乳!と
迫られ続けました。最初はまったく出産経験がなかったのでこんなものかと思い
来る日もくる日もわたしは開腹したお腹を押さえながら亀のような速度で
ヨロヨロしながら自分の病室から双子がいるGCUまで母乳をあげるため3時間おきに
通いました。
何なら吸えない我が子にやや申し訳ないとさえ思っていましたが
いや待てよ、
そんなわけないよね、
そもそもこの子たち明かに単胎児と体格違うよね?
と疑い始め、最終的に
無茶ゆうな!こんな低体重児の赤子が乳を吸えるかっっ!!
と通り一遍の方法しか説明しないスタッフに割と理詰で畳み掛け戦いました笑
最終的にはオットも一様に母乳、母乳と迫るスタッフの言葉にキレて物申し、
夫婦ふたりしてずっと憤ってました。
もうやだ!さっさと退院してやる!
と必死に体を快復させ、お陰で予定より2日ほど早く退院できました☆
結局子どもたち2人が母乳を吸えるようになったのは単胎児と同じくらいの
3000gを超えてからでした。なので退院してから大分あとのことです。
そこからの2人の食欲はすごくて、ミルクはたくさん飲むし
母乳も両乳が毎回枯れるほど飲むし笑
とにかく食欲旺盛でした。
なので離乳食を食べなくなったときそれまでの反動で
あれ?なんで???という気持ちでした。
とりあえず順調に体重も身長も増えてるからあまり気にしないようにしようと
思い淡々と作っていたのですがやっぱり食べない、、、、。
それどころか遊び食べが酷くなる一方だったのでだんだんメラメラと燃えるものが
沸き、
よし!!食べるまで勝負だ!!!
とこのブログを始めました。
しかも離乳食レシピのように作ってもぜんっぜん食べないので
もういっそ、
ノールック(レシピ見ない)で!
と決めました笑
きっといつかあるとき
あれ?なんかもりもり全部食べたぞ?っていう日が来ると思うので
その時こそが
一発逆転したぞ!!
と喜びのホームを踏めるんじゃないかと狙ってます笑
さて今日はマメ好きなムスメ氏②のために
豆腐、絹さやを使った豆づくし飯です
<オット評>
まあまあ。双子は食べると思う。
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<ムスメ氏①(姉)>
△
<ムスメ氏②(妹)>
△ 案の定豆腐と絹さやはそこそこ食べる
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◯完食
△半分以上食べる
✖️半分以下
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<敗因>
ムスメ氏②は狙い通り豆腐と絹さやは食べるもご飯に突入すると遊び食べ始める。
いつもよりは少し多めに食べたかな、という感じ。ムスメ氏①は相変わらずマイペースに食べる。
完食の日はまだ先かなーーーー